「私はお前さんのご先祖様じゃぞ!」
初めて私の子供を祖母に会わせに行ったときに、ひ孫に対して掛けてくれた言葉でした。
祖母が満面の笑みで、嬉しそうにそう声かけしてくれたことをいまだに鮮明に覚えています。
96年間という、長い生涯に幕を閉じた祖母に対して、お別れと、感謝と、これからの私自身の決意を、込めて書きたいと思います。
ばあちゃんへの、お別れと感謝
96年間、生きてきてくれありがとうございました。
本当に感謝しています。
おばあちゃんの孫として生まれてこれて良かった。
本当に本当にお疲れさまでした。
あなたのお陰で、今の私がいます。
そして私の子供がいます。
当たり前のことですが、
ご先祖さまの誰か1人でもいなかったなら、
今の私は存在しない。
おばあちゃんの存在を通して強く感じています。
私が生まれた時には、すでに祖父は他界していましたね。
だから尚更かもしれませんが、私はとってもおばあちゃん子だったように思います。
いつも優しく明るくて、ちょっとおとぼけのおばあちゃんが大好きでした。
多く人から親しまれ、そして貴方自身も多くの人たちを大切思っていましたね。
大正時代の生まれのおばあちゃん。
きっといろんな多くの、
言葉には言い尽くすことの出来ない苦労を乗り越えてきたからこそ、
どんな人にも優しく接することができるようになれたのだと思います。
叶うことなら事ならば、貴方をもっともっと色んな所に連れて行ってあげたかった。
もっといろんな事を話したかった。 一緒においしいご飯を食べに行きたかった。
今となっては実際に一緒になって行うことは出来ないね。
ばあちゃんから学んだ多くのこと
あらためて祖母との関わりを思い返してみると、非常に多くの学びがかけがえのない日々であったと思います。 両親とは、一世代違う存在に幼少期より多く関われたこと、私にとっては計り知れない貴重な日々でありました。
他を愛おしむことの大切さ。 そして愛おしまれる。
祖母は昔ながらに、神や仏を敬う人でありました。
そしてどんな時でも自分自身の事では、家族や親族など一人ひとり名前を出して、毎日の無事や健康を念じていました。
祖母どんな相手に対しても、差別なく愛おしむことのできる人でした。
晩年、どんなに自分の年を重ねて、身体が衰えていっても、必ず相手のことを先に気にかける言葉使いをしていました。
だからこそ、最後までたくさんの人に気にかけて貰える人であったのだろうと思います。
悪口やネガティブなことを言わない
祖母は決して他人の悪口を言わない人でした。
たまーに先に亡くなってしまった、祖父さんの恨み節は聞いたことはあったかもしれませんが(笑)
自分の事を先に喋るのではなく、先に相手の事を気遣う言葉掛けをすること。
笑顔を絶やさない
いつも思い出すのは笑っているときの顔です。
そして自ら相手に対して、まず笑顔で接していくこと。
学び続けることを止めない
なくなる直前まで趣味でもあった読書を続けていました。
感謝の心を忘れない
晩年は、ほとんどベッドの上で過ごすようになりました。
新型コロナウィルスの感染状況がひどくなってからは、デイサービス等にもなかなか行くことが困難な状況になっていきました。
毎日ベッドのうえで過ごす日々は、いったいどんな日々だったのかなと思います。
身体の自由もあまりきかず、苦痛なこともきっと多くあったであろうと思います。
不平不満を口にしたくなったこともあったのではないかと思います。
しかし、どんな時でも感謝の気持を伝えることを忘れない人でした。
ケアサービスで来てくれる介護士さんや、往診で来てくれる先生・看護師さんたちにたいして、笑顔で「いつもありがとね。」ってすぐに言える祖母の姿をみて、すごいもんだなって感動しました。
お世話をしてくれるのが当たり前っというような態度は決してしない祖母でした。
本当に心そこから感謝を伝えられる方であったと思います。
最後に死亡を確認した先生から言われた言葉には驚きでした。
いつもおばあちゃんに会いに来るが癒やしでした。 おばあちゃんは、いつでもニコニコとしていて、心からありがとうって言ってくれたんですよと。
最後まで生き尽くした祖母の姿をみて、私自身も最後の最後まで人から惜しまれて死んでいけるような人生を歩んでいきたいと思います。